アメリカ抽選永住権に当選した普通の日本人サラリーマン家族。
健康診断と予防接種のすったもんだの末、なんとか面接までに提出用の書類が用意できました。いよいよ面接です!と思ったその時、あの事件が起きました。
2001年9月11日。
このアメリカを揺るがす大事の直後、アメリカ大使館での面接に臨みました。
抽選永住権当選後、いよいよ面接!厳戒態勢の大使館へ
面接の開始時間は8時30分となっていました。
1歳と3歳を連れていることもあり、車で都内に出て前泊し、当日タクシーで朝8時15分の開館に余裕をもって到着しました。
面接は10月上旬で、アメリカが反撃を始めたころでしたので、大使館前はものものしい機動隊の警備がしかれ、私たち家族を含め、あとから並んでくる大使館への来客の人たちの数をどこへやら逐一報告しています。
開館時間となり、一番で中へ入ると、手荷物検査とボディチェックをされました。
子どものために用意してきた袋菓子やパンは、すべて没収。
検査員の方も、厳戒態勢下で仕方ないこととはいえ、小さな子どもへの厳しい対応に心を痛めて「ホントにごめんね。これもこれもお返しできません」とあやまってくださいました。
中へ進み、席についてしばらくして窓口が開くと、苦労して集めた書類をすべて提出して、発給手数料以外の335ドル x4名分 x121円(為替レート)=162,140円を支払い。
米国抽選グリーンカードに当選!面接に必要な書類とその準備のすすめ方(前編)
米国抽選グリーンカードに当選!面接に必要な書類とその準備のすすめ方(後編)
書類をチェックしているのを待つ間、眺めていると、向かって一番右端の窓口に領事と思しき人が座っていて、待っていた人が呼び出されては帰っていく…あれが面接かぁ、意外と簡素だなぁと思っていたら、別の窓口で私たちが呼ばれました。
「大学の卒業証明書はないですか?」と聞かれました。用意する書類リストには「高校の卒業証明」とあったので、取り寄せなかったのですが、アメリカでの生活力をアピールするためには大学以上の卒業証明は強いサポート書類となるので準備したほうがいいようです。
待っていた他の人たちは、どんどん帰っていきます。
代理人と一緒っぽい年配の男性。1人で来ている若い女性。子連れが3組ぐらいに、カップルが2組ほど。計12、3組くらいでしょうか。
また、別の窓口で呼ばれました。予防接種の内容が家族の中で食い違ってるとのこと。ああ、あとから、かかりつけ医で接種を受けてファックス送っているうちに混乱してしまったのだわ…
米国抽選グリーンカードに当選!渡航健康診断と予防接種に大わらわ
10時に病院が開くのを待って、窓口側が確認してくれるとのこと。
さらに待って11時ごろやっと領事に呼ばれました。
領事がひとりひとり子供達もしっかり顔をチェックします。
右手を「誓う」の状態に軽くあげて、書類に嘘偽りがないと宣誓するように言われます。私たちの場合、英語が怪しいので、領事が「嘘はないね?」と英語で言ったのを「YES」と答えただけ。
そのあと、ダンナさんは「仕事はどうするのか」と聞かれて、「アメリカの知人に頼んで探します」と答えました。
領事はにっこりして面接は終わったらしく、日本人スタッフが横から、病院へ行って正しい記録と差し替えて12時までに戻ってこなくてはいけません。
ダンナさんが大急ぎでタクシーで大使館から芝公園の病院へ向かいました。
私と子ども2人はもうほとんど誰もいない待合でまた待ちました。
お菓子も底をつき、実は風邪をひいて熱を出していたわたしは、ぐったりと椅子にもたれていました。
なんとか12時までに予防接種の書類を持ってダンナさんが戻り、やっと解放!!
ビザ発給は午後2時30分なので、戻ってきて受け取るように、とのこと。先に出ていった人たちも皆、外で時間をつぶしているんですね。
外へ出て赤坂の町をお昼ゴハンを食べに歩きましたが、わたしは熱で長女を抱っこして歩くのももう限界、昼食も食べられません。
ホテルに車を取りに戻り、大使館近くのパーキングに停めて、2時半にダンナさんだけビザを取りにいきました。
ここで発給料65ドル x4名分 x121円(為替レート:当時)=31,460円が必要になりました。
(現在はクレジットカードやオンラインでの支払いが可能ですね。隔世の感ありです。(笑))
渡航のためのビザ発行!グリーンカードはいつもらえるの?
戻ってきたダンナさんの手には、4人分のパスポートと、分厚い封筒の表にビザが貼られたものを4冊抱えていました。
パスポートへの記載ではなくこの封筒がアメリカ入国のビザで、半年間有効です。
半年後までに入国したら、やっと本当にグリーンカードがアメリカ国内の登録された住所に届くのです。
でも、半年以内に移住できるとは思えません。旅行業界に勤めるダンナさんのアメリカ子会社に転勤願いは出しているものの、アメリカの旅行業は大打撃を受けたばかりで、とても求人は見込めないでしょう。
両親たちにも、本当に永住権が手に入るまでは、と黙っていたので、打ち明けなければなりません。
今でも帰省するたびに孫に会えて大喜びする彼らを、地球の反対側まで引き離すことになるのです。
折しも、アメリカではなく大阪への帰任が決まり、ビザは取ったものの引越しのことに追われる日々となりました。
ビザ申請面接後すぐ渡米できないときは?ビザ延長について
大変なことは重なるもので、お姑さんが悪性腫瘍が見つかって、抗がん剤治療が始まりました。
こんな時にアメリカへ行くなんて、言い出せるわけないし、考えもできなくなってしまい、ビザの封筒は引っ越した大阪の家の押入れに投げ込まれたままに。
2001年は暮れ、2002年が明けました。ビザの期限は4月上旬。
なんとかお姑さんの病状は持ち直して来たので、どうにかなるものなら、と大使館にビザの延長の問い合わせをしてみました。
すると一人当たり$400(つまり申請料+発給料)払えば、延長ができるとのこと。各書類の有効期限を確認して差し替える必要のあるものは差し替えます。
4人分で192,000円也。写真はもちろん4人分差し替え、ほかの書類は延長分発給時に有効であればよいけれど、健康診断書は入国時に有効でなければならないとのこと。ということは8月末が期限…
延長しても意外に時間がない。ビザが切れる前にビザの封筒と写真を同封して大使館に送りました。
着いたかどうか確認の電話を入れると、「期限が切れる日に延長再発行します。」とのこと。
そして「とにかくグアムでもいいから一旦アメリカに入国してください。
入国すればグリーンカードは発行されますし、そのあと出入国は自由です。」と教えてくださいました。
そ、そうなの?!
というわけで、延長再発行された入国ビザを受け取ってグアム2泊3日のグアム旅行へいくことになったのでした。
まとめ
抽選永住権に当選後、必要な各種証明や書類を揃えていよいよ面接へ。
大使館は9.11直後で厳戒態勢でした。
家族4人分の書類のチェックは大変なのか、待ち時間は長かったけれど、意外に簡単な領事との窓口でのやり取り、宣誓のあと一旦大使館をでて、午後のビザ発給に戻ってきて、無事半年間有効の入国ビザを受け取ることができました。
いろいろあって、ビザの期限の半年以内に渡米できなかったのですが、申請料+発給料はかかりますが、ビザの延長をすることになり、その際、グアム旅行することでとにかく入国を果たすようすすめられました。
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